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Channel: 平山トオル オフィシャルブログ「通る 徹る 透る THROUGH PASS CLEAR」
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憧れの人 イチローさん

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僕にとって、
とても大切なことなので、

あまり自己満なことはブログには書かないように心がけていたのですが、
今日は自己満でしかないブログを書きます。

イチローさんが引退されました。

この日本での開幕戦を、

巨人戦も含め、
18日と21日と僕はチケットを抑えていました。

けれども、
いたずらなもので、
うまーくそこで稽古と被ってしまい、
チケットを断念せざるを得なくなり、
友人に譲ったんです。

そして、
行ける20日のチケットを探しました。

これがまた幸せなことで、
1つは買って抑えたのですが、
1つはとてもいい席をプレゼントしてくださるという方が現れたんです。

僕はびっくりしましたが、
イチローさんをずっと応援し続けてきたから、
それを見てた神様のような何かがあるんだなと感謝し、
買ったチケットは友人に譲り、
いただいたチケットで観劇しました。

それだけで僕は満足していたつもりでしたが、
21日の稽古中、イチローが引退と分かった時、
稽古が終わってでもやっぱりいきたいという気持ちになりました。

必死になってそこからチケットを譲ってくれる方を探して、
そして、現地に向かいました。

その時点で22:00。

無理だと思いました。
終わってるかもしれないと。

だけど、試合はまさかの延長していたんです。

23:00少し前僕は球場に入りました。
試合はちょうど12回。
ゲーム終了までラストスリーアウト。

こんな奇跡あるでしょうか。

僕は試合が終了し、
イチローさんが出てくる20分の間、

イチローさんがファンを見捨てて帰るようなことは絶対ありえないと、
ずっとイチローさんを呼び続けました。

20分後に現れた時はもう大興奮でした。
こんな奇跡ないです。

何度か試合を見たことはありましたが、

ほんの50mぐらいの目の前でイチローさんを見たのは、
小学生のダイエー対オリックス戦以来でした。

あの時と変わらないスーパースターがやはりそこにはいらっしゃいました。

正直、イチローファンなら誰もが今日が引退だと気付いていました。

3000本を達成した時、
そして去年、試合に出れなくなった時、

イチローさんの言葉を聞いて気付かないはずがないんです。

明らかに今までのイチローさんとは、
発言が変わってきていたんです。

イチローさんのことをずっと応援して、
記者会見なども全部チェックしてた人には必ずわかるサインでした。

そもそも僕が何で、
他に熱狂的なファンになる人はいないのに、
イチローさんをここまで大好きになれたのか、

「努力」

の言葉がきっかけです。

出会いは小学校低学年。
当時野球が大好きな父親の三男として生まれた僕は、

長男次男と野球を習い、

僕も3年生の頃野球を習い始めたぐらいの
野球大好き親子の子どもで、
野球が好きでした。

ちょうどその時受けていた、
進研ゼミ「チャレンジ」の教材に
イチローさんの特集が載りました。

それこそイチローさんがプロになって2、3年の頃だったと思います。

そこにはイチローさんの作文が載っていました。

365日のうち360日ぐらいはずっと練習してるから、
プロにならないはずがありません。

というようや内容の作文でした。

その時は末っ子は生まれておらず、
2歳年下の弟4人兄弟のなかで、
はっきり言って、僕は1番出来の悪い子でした。

いや語弊があります。
父にとって出来の悪い子だったんです。

なぜなら運動がとにかくダメでした。
野球好きの父にとっては
とにかくそれがだらしなく情けなかったのです。

男たるもの運動が出来て当たり前、
そう言った時代に生まれた父ですからね、
仕方ないんです。

でもその父が、
唯一僕に認めていたことが、
「努力」でした。

僕は運動を頑張ってもどうしても周りのみんなほど頑張れないし走るのも嫌いなぐらいだったので、
とにかく運動以外のことで父親に認めてもらおうと必死でした。

幼稚園で書道を始め、
毎日字を書き賞を取り、

ひらがなを真っ先に覚えて書けるようにして、
足し算と引き算を何度も母に教えてもらって覚え、

新聞の漢字を何とか読んで父に褒めてもらおうと
何の字か一生懸命考えて読む。

幼稚園で進研ゼミを始めて、
毎日ちゃんとやって、小学生でほとんどのテストで
100点を取る。

必死でした。才能じゃ勝てないから、
やればできることで差をつけようと必死だったんです。

父はそんな僕を見て、
トオルは不器用だし、頭は悪いけど、
「努力」ができる。

と褒めました。

その時は「努力」の意味がよくわかっていなかったんですが(自分は使命感でやっていたので)、
その「努力」という言葉をその記事で読んで、
僕の中に「努力の代表 イチロー」というイメージが出来上がりました。

でもイチローさんが実際どんな人かは知らなかったので、
そこで止まってたのですが、

当時ダイエーホークスvsオリックスを
父と見に行った時にその時は来ました。

イチローさんがそこにいたんです。

走り方、背面キャッチ、ボールを客席に投げるサービス、打ち方。

全てがスターでした。

それから僕はイチローさんのファンになったんです。

オリックスだったのでなかなか試合を見ることはできなかったのですが、
テレビでダイエー対オリックスがある時は必ず釘付けで見てましたね。

メジャーに行ってからは、
メジャー線をテレビでやるとなれば見に行き、

イチローさんの特集は必ず録画、

スマホができてYouTubeで見れるようになったら、
いつも「イチロー」を検索して見続ける。

イチローさんの号外は必ずもらいに行って、
イチローさんが一面に載る時は載っている新聞全社買う。

NUMBERもイチローさんが特集の時はいつも買う。

記念切手は必ず注文。

イチローさんの本は見つければ買う。

そんなぐらい僕の生活の一部でした。

イチローさんが大好きだからこそ、
イチローさんがどれほど努力の天才なのか、
決して天才の一言で片付けられる方ではなく、
ものすごい量の練習や悩みをしてきたか、
それが誰にも真似できないからすごい。

まさしく僕の尊敬する神様です。


イチローさんの活躍し始めてからしか知らない方は、
はじめっから天才だったと思われると思うんですが、

イチローさんは初めはドラフト4位で2軍スタートです。
当時ドラフト1位や2位は当然いたわけで、
甲子園で活躍したわけではないイチローさんは、
地元以外に知られずドラフト4位だったわけです。

そのイチローさんが、
仰木監督という監督に才能を見出されて、
一軍に引き上げて登録名を「イチロー」に。

それからが彼の大進撃でして、
どう考えても、他のスーパースターのような天才とはまた違う
努力の天才なんです。

今や世界一です。

イチローさんが引退する今、
またそれに変わるような方が、
この先現れるのだろうかと思いますが、

いや、自分も人の前に出る者として、
そういった心得を自分も持って、
イチローさんになれはしないけども、
そこから学んだことを生かして1日1日を大切に過ごしなければと、
やはりイチローさんを見ていると感じます。

そしてこれからも僕はイチローさんを応援し続け、
イチローさんの背中を追っていきます。

イチローさんまずは現役お疲れ様でした。

必ず僕はイチローさんと出会い、
いつでもお話できる人になると心に決めています。

僕も頑張ります。












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